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コラム

脱ゆとりは成功するか

脱ゆとりは成功するか

授業時間数の絶対不足でまた崩壊する


 脱ゆとり教育の教科書でまた世の中が騒がしいが、問題点を次に挙げる。
⑴小学校教科書で4割増しと言うが、まだまだ不足している。
⑵学ぶべき量を増やしても学ぶ時間数が絶対的に足りていない
⑶学校教員の能力が総合科目以上に問われる
 まず、⑴から説明しよう。
3割削減3回でどれだけの量を現在の生徒は学んでいるのだろうか。0.7×0.7×0.7=0.343
 つまり、昔の3割程度しか学んでいないのである。それでは、小学校の教科書が4割増しになったということはどれだけ学ぶことになるのだろうか。0.34×1.4=0.48
 つまり、以前のほぼ半分の量しか学ばないのである。実際には復活した単元などがあるからこれほど少なくはないが、それでも1970年代の半分程度なのである。だから、マスメディアの表現にあるような「増えた」ではなく、「少しだけ以前に近づいた」とか「半分に戻った」と表現してほしい。
 表現力の乏しさや過去との比較力が最近のマスメディアには非常に欠けている。きれい言葉で若者を引きつけるような表現やカタカナ語の多さで、メディアとしての良識が次第になくなりつつあるのを感じるのは私だけだろうか。「売春」を「援助交際」と言い換えたり、罪の意識を薄くするようなきれい言葉での表現はもううんざりだ。あ、話が逸れ始めた。


 「6教科7科目の大学入試を重い負担」と表現することが甘やかしにつながってはいないか。共通1次世代ではそれが普通だったのではないか。普通=負担ということで、標準を否定し、より楽な方向に向かせようとしてはいないか。マスメディアの良識を取り戻してほしい。
 話を戻すが、4割増しでもまだまだ量は不足している。


 次に⑵だが、4割増しにしても学ぶ時間が週2時間しか増えなければ、役に立たないだろう。4割増しならば4割の時間数を増やすのが常識というものではないのか。
 これについては⑶とも関連するが、総合科目の時間が多すぎるのである。総合科目は教員の能力を非常に要求する科目である。現場の教師は、文科省や都道府県・市町村の教育委員会に提出する書類を書くためにただでさえ時間不足なのである。教材研究や指導方法の研究などやる時間がないぐらい書類書きに追われている。ましてや総合科目のように、自分でアイデアをひねり出し、教え方も自分で作らなければならない科目は現場の教師にとっては非常に負担なのである。だから、教師の能力を非常に要求する科目なのだ。総合科目の時間を入れるのであれば書類書きの時間を減らすべきだし、現行の時間数で4割増しの内容を教えるのならば、総合科目の時間はなくすべきである。何でも外国の真似をするのではない。例えば、フィンランドでは総合科目の時間は多いが、学習指導要領もなければ書類書きもない。すべて現場の教師に委ねられているのである。その代わり、現場の教師は、大学院卒で能力を持っている者に限られている。目に見えている状況の裏にどれだけの犠牲が払われ理念があるのか、文科省の官僚には見えていないのだろう。いっそ、各学校に丸投げすればいいのでないのだろうか。大阪府の橋本知事(現大阪市長)が言っているように「朝鮮学校への支給は各自治体に丸投げするのならば文科省など必要ない」。まさにその通りである。
 現場の教師が思いきり能力を発揮できるような環境作りが文科省のやるべき事である。私の周囲では、週休2日を止めればよいという意見が圧倒的である。現に東京都では土曜授業を行っている。


 学びに休憩はない


 脱ゆとりはおそらく失敗するだろう。しかし、その言い分が「増やしたから失敗した」ならば、それは的外れというものだ。増やした分を教える時間を作ったか、が問題なのである。一般の教師の能力ならば、総合科目の時間を抱えながら書類を書き4割増しの内容は教えきれないだろう。だから、結論は「失敗する」。しかし、週休2日制や書類書きの時間、総合科目の時間など環境作りが失敗する理由であることを忘れてはならない。

ゆとり教育総括《1》

ゆとり教育総括《1》

ゆとり教育の功罪


 先日、卒業生から新入社員のことでメールが来た。その中でゆとり教育に言及があったので、ここらでまとめておこうと思う。
 高校では2003年度入学生よりゆとり教育になった。ここまで、7年以上ゆとり教育の生徒を見ていて、その総括をしようと思う。2003年入学のゆとり教育1年目の生徒は、それまでとほとんど変わることはなかった。が、2004年入学のゆとり教育2年目の生徒より急激な変化が訪れた。その理由は、推察するに、中2の1学期の数学の計算練習の訓練をしていたかどうかによると思われる。ゆとり教育1年目の生徒は中3からゆとり教育になったので、中2・1学期の計算練習は訓練をしていた。しかし、ゆとり教育2年目以降、総合科目の時間のために訓練する時間が削られ、中2・1学期の計算練習そのものが説明だけになってしまった。そのため訓練を重視しない生徒が増えて来たと思われる。


 以下に、《ゆとり教育》を受けた生徒たちの長所と短所を羅列する。
〈長所〉

  • 挨拶や返事は、声が多きくはっきりしていてよい。

〈短所〉

  • 集中力及び集中力の持続力に欠ける。
  • 忍耐力がなく、持続力がないので、すぐに飽きる。そのため本質の理解まで至らない。
  • 記憶力・暗記力に乏しい。一夜漬けで済ませて来た結果だろう。また、記憶や暗記などの覚えることの重要性が理解できていない。
  • 練習していないから、訓練されていない。だからすぐに忘れる。よって、何も身についていない。
  • 学んだこと(既習事項)が身についていない。だから、過去に学んだことを使うことができない。つまり、応用力が不足している。
  • 返事、回答が遅い。つまり、反応が鈍い。
  • 何事も「だいたい」で済ませ、細かい部分に注意を払わない。
  • 物事を真剣にとらえないし、真剣に取り組まない。特に些細な事柄に対して真剣に考えない。
  • 考えが浅い。表面だけ眺めて判断する。
  • やることが中途半端で、完璧にしようとはしない。
  • 返事はよいが、行動が伴わない。行動するにしてもスタートが遅い。前もって準備をしていないから、言われてから行動に取りかかる。
  • 競争心・闘争心の欠如。
  • 国語力、特に漢字力と読解力のなさ。
  • 語彙力不足で、言葉の定義の間違いが多い。だから、話が通じない、日本語が通じない。
  • 聞き取り能力がない。右の耳から左の耳へ素通りし、馬の耳に念仏と同じ状態。
  • 経験不足、つまり社会体験が少ない。
  • 常識の欠如。特定の興味のある事柄しか知らない。
  • 能力の限界に挑まない。つまり、能力の限界内で済まそうとする。だから能力が伸びない。

 他にもまだあるだろうが、これぐらいにしておこう。それぞれ関連のある事柄も多い。そして、なぜこういう風になったのかそれぞれについて検証していきたい。
 断っておくが、これはできない生徒の話ではない。少なくとも第1志望大学合格率69.2%、国公立大学進学率55.7%の実績のある現場の川北ゼミナールでの話である。
 10年前ならば学校のクラス40人中37,8番ぐらいの生徒の学力が、現在では40人中2,3番ぐらいのレベルなのである。英語では毎年同じテキスト、同じ教え方、同じ問題の確認テストをやり、10年前は全員の平均点が90点前後だったが、ゆとり教育の2年目で平均80点台、3年目で70点台、と毎年落ちてきて、昨年(2009年)度の平均点は40点台であった。7年間で50点近く落ちてきているので年平均7点ずつ落ちている計算になる。だから、高校生の保護者が自分の子供の成績が上位にあるからと喜んでもそれは仮初めの姿でしかないのである。社会に出て通用する人間にはなっていないのである。
 学力低下云々については、同じ問題を毎年やっている我々が身をもって体験しているのである。


 それでは、こうなった原因は何だろう。
 とりあえず5つピックアップしてみた。

  • 学習事項の減少
  • 学習時間の減少
  • 応用問題までやらない
  • 読書時間の減少
  • 経験・体験不足

 ゆとり教育になってこういう結果が出たのだから、ゆとり教育と関連づけて考えるのは当然であろう。それまでの教育とゆとり教育の違いを列挙してみて、これらについて次回からそれぞれ考察していこうと思う。

ゆとり教育総括《2》

ゆとり教育総括《2》

全国学力テストの結果を見て
 2010年7月31日の新聞各紙の朝刊に、全国学力テストの結果が報道された。ちょうどゆとり教育総括のコラムの途中だから、全国学力テストの結果を踏まえながら、説明していこう。


 6月19日のコラムで、ゆとり教育を受けた生徒の特徴を採り上げたが、各紙の見出しを拾い出してみよう。
朝日新聞  1面 小6時の問題中3でつまづいたまま
同    28面 応用力伸び悩み
読売新聞  1面 小6の誤答3年後も苦手
同    14面 正答率伸びぬケースも
同    14面 記述式苦手な傾向
同    15面 算数基礎力に課題
 その他、毎日新聞や他の新聞、地方紙もほとんど同様の見出しだろう。これらの見出しと、6月19日付のコラムと比較してみよう。


 「小6時の問題中3でつまづいたまま」・「小6の誤答3年後も苦手」・「正答率伸びぬケースも」については、6月19日コラムの「練習していないから、訓練されていない。だからすぐに忘れる。よって、何も身についていない。」と「学んだこと(既習事項)が身についていない。だから、過去に学んだことを使うことができない。」に当てはまる。
 一言で言えば、繰り返し学習をしていないからである。おそらく学校の教師も繰り返し学習を生徒にやらせたいのだろうが、その時間(総合科目の時間に奪われている)がないから生徒任せにせざるを得ないのだろうと推測される。わからないところはわからないままで進級しても、高校では壁にぶつかってしまうし、社会に出てどうするのだろう。


 「応用力伸び悩み」については、6月19日コラムの「学んだこと(既習事項)が身についていない。だから、過去に学んだことを使うことができない。つまり、応用力が不足している。」に当てはまる。


 基礎基本がしっかり身についていて、かつ応用の仕方を学んでいれば応用力というものは身につくものである。しかし、身に付けるだけの訓練をやっていない。そして、難問を排した教科書で学ぶゆとり教育では、応用の方法が学べないのである。


 「記述式苦手な傾向」については、6月19日コラムの「国語力、特に漢字力と読解力のなさ。」と「物事を真剣にとらえないし、真剣に取り組まない。特に些細な事柄に対して真剣に考えない。」と「語彙力不足で、言葉の定義の間違いが多い。だから、話が通じない、日本語が通じない。」と「経験不足、つまり社会体験が少ない。」に当てはまる。
 これは、ゆとり教育でなくとも、元来、生徒というものは記述式が苦手なものである。しかし、書く練習を排したゆとり教育により、より顕著になったというのが正直なところだろう。教科書の書き写し(書写)を繰り返しやることで論理的な思考を、発表を授業に取り入れることで論理的な文章が書けるようになるものである。ただし、それだけの授業時間があれば、の話だが。


 「算数基礎力に課題」については、6月19日コラムの「集中力及び集中力の持続力に欠ける。」と「忍耐力がなく、持続力がないので、すぐに飽きる。そのため本質の理解まで至らない。」と「練習していないから、訓練されていない。だからすぐに忘れる。よって、何も身についていない。」と「能力の限界に挑まない。つまり、能力の限界内で済まそうとする。だから能力が伸びない。」に当てはまる。
 これが元凶だろう。算数の基礎力に問題があるのは、訓練のなさ以外に理由はない。上述したように、基礎基本が徹底されることで応用力が身につくものなのに、基礎力に問題があるようでは、応用どころではない。特に、数学・理科のような積み重ねの理系教科は、壊滅状態になるだろう。


 以上のことから、どうすればよいか、は自然と見えてくるはずである。

  • 基礎基本の徹底は、豊富な練習量が必要である。
  • 基礎基本の徹底が終わりに近づけば、その応用の仕方を学ぶ難問(応用問題)をやることが必要である。

 具体的には、算数・数学では、以下のことを励行したい。

  • 計算練習は徹底する。
  • 文章題・応用問題は、例題の解答を何度も書写することで理解する。
  • 以上のことをやったら、難問・応用問題に取りかかる。
  • 難問・応用問題が解けるようになるまで繰り返す。
  • 難問・応用問題が解けるようになったら、もう一度基本に戻って公式の意味などを理解する。

 国語では、以下のことを励行したい。これは英語の学習も同じである。

  • 何度も教科書の文を、一言一句、句読点も間違えずに何度も書写をする。
  • 1週間で1冊堅い本を読む。
  • 新聞のコラム・社説・読者の手紙の欄を毎日読む。

 これらについて、学校での訓練は時間数が不足しているので、個人で取り組まざるを得ない。
 文科省が土曜日の授業を認めなければ、親の収入格差により学力格差はもっと広がるだろう。親の収入が低ければ、塾に行く費用も節約して、訓練しない学校のみの授業に終わり、何も身につかないままになってしまう。だからこそ、親の収入格差をなくすためには、学校で訓練する必要があるのである。

各科目の重要性はどこにあるのか

各科目の重要性はどこにあるのか

学校で学ぶ内容は、社会に出てから本当に役に立たないのか


 学校で学んだ内容は社会に出てから役に立たない、という声をよく耳にする。しかし、それは本当なのか。各科目について考えてみよう。


 まず、国語については当然必要である。書類だけではなく、人対人としてのコミニュケーションを取るために必要だからである。そして、これは科目ではないが、論理力も欠かせない。営業で相手を説得したり、自分の考えを相手に伝えるための必須条件である。これはどの科目で学ぶのだろうか。すべての科目に共通であるが、国語・数学・英語の基礎教科で学んでいくものである。
 この国語と論理力は、共同体である社会においては、最も必要とするものである。言葉は悪いが、ひなびた山村で生涯畑を耕したり、漁村で一生魚を捕るにしても物を売るという行為においては必要であろう。


 現代においては、これだけインターナショナルな時代であるのだから、当然企業はグローバルな展開をしなければ生き残ることができない。そうなれば他国における製造・営業などの面においては、現地語で話すことができればよいが、そうはいかない場合、お互いの共通語である英語が必要になろう。また、日々世界中で新しい技術が開発されたりする開発部門や、新薬の開発競争、新しい病気や手術法を知るためには海外の論文も読まなければならない。そうなれば、当然英語が必要になる。
 国内だけで製品の販売をやればよい時代は終わったのである。極端な話、携帯電話を国内で1億台売れば市場は飽和状態である。それでは次の利益を上げるものは何かと言えば、海外販売しかない。その時に、英語が必要になるのである。ただ、先ほど述べたように、その地域だけで海外との接点がない場合は、不必要な科目ではある。


 数学はどうであろうか。
 純粋数学は、数学者の世界であり、それこそ一般人にとっては無縁のものである。しかし、応用数学は、そうではない。物理などの理科の計算技術として、あるいは統計手法として、はたまた経済学の基礎として必要な科目である。最近では、数学を専門的に学んだ人を求める企業が増えてきたというニュースをよく聞くが、当たり前のことであろう。すべての科目の基礎なのだから。高校で学ぶ数学は、高1で論理的な考え方を学び、高2以降は理科に必要な計算技術を学ぶ。実際、数Ⅲで学ぶ曲線、例えばカテナリー(懸垂曲線)は普段みんなが目にする吊り橋のケーブルのカーブである(これは物理の力学とも関係している)。このように実用化されているものを数Ⅲで学ぶのである。特に、数Ⅱ・数Ⅲで学ぶ数学は、物理の計算(だけではないが)をするための数学である。


 一方、理科はどうであろうか。高校で学ぶ物理・化学・生物・地学に分けて考えてみよう。
 物理はすべての理科の土台である。例えば、化学における分子間引力や、生物における浸透圧、地学におけるアイソスタシーなどすべて物理の範疇である。つまり、化学であれ、生物であれ、地学であれ突き詰めていけば、結局物理に戻るのである。そのため、理系としては最も基礎にあたる科目である。
 化学は、普段目にするプラスチックやその他の合成された製品に使われている。そのため、製品開発や医薬系に特に必要となる科目である。
 地学は地震などの天変地異に関する学問なのだから、必須にすべきであろう。義務教育段階で、特に中学校だが、きちんと地震について教えるこのできない先生ばかりという状態では、地震国日本の教育施策のお粗末さが非難されてしかるべきである。
 また、生物は、医学系に必要なだけではなく、他の生き物(動物・植物)に対する愛情や敬愛の気持ちを学ぶのに最適である。地球上における生物の多様性を学べば、マグロの乱獲だけでなく人間が動植物を絶滅危惧種に追いやるエゴも防げるのではないだろうか。
 最近、自然保護について喧しいが、これは生物と地学の範囲である。


 次に社会はどうであろうか。
 歴史については、日本史と世界史があるが、どちらも必要である。過去の歴史を学ぶことで、未来につなげる必要があるからである。過去の失敗から学び、過去のよい点を未来に伝えていき、よりよい未来を作るために必要なのである。
 日本史においては、日本という国を知らずして愛国心も生まれないだろうし、日本の伝統も理解し得ない。また、なぜ戦争に突き進んだのか、グローバル時代において他国と協調するためには何が必要なのかなど学ぶべきことが多い科目である。悲しいかな、日本史については日本に来る外国人の方がよく知っていたりする。これも教育施策の過ちである。
 世界史は、当然グローバル時代においては必須科目である。他国を知らずして、他国とのコミュニケーションをとることはできない。他国を知ることで、視野が広がり、協調していけるのだから。
 地理は、世界の各文化を学ぶことで視野を広げることができる。地理は当然世界史においても必要である。
 次に公民であるが、公民は共同体社会でトラブルが起こらないよう生きているために必要な科目である。つまり、常識として知っておかねばならないことばかりである。
 選挙の仕組みや社会の仕組みを学ぶ政治・経済や現代社会、そして共同体社会の中での善悪判断などを学ぶ倫理など社会に出るための必須科目である。


 その他、保健なども必須科目である。自分の健康を守るための知識でもあるし、他人の危機を救うのもこの知識があればこそである。


 実際、社会に出れば、仕事の面においては理科・社会(地歴)が、普段の生活においては社会(公民)という科目が最も必要となる。その基礎を学ぶのが、英語・数学・国語の基礎教科である。


 次に仕事内容で見てみよう。
⑴理系
必須教科 理科 各専門により異なる
物理 電気電子系・機械系・建設建築系・医学系
化学 化学系・医薬系
生物 医薬系・農学系
地学 普段の生活に必要
基礎教科 数学 理科の計算技術
     国語 論文に必要
応用教科 英語 グローバル展開や論文に必要
⑵文系
必須教科 社会
地歴(世界史・日本史・地理)   経済経営系・商学系・文学系
公民(政治経済・現代社会・倫理) 法学系・普段の生活に必要
基礎教科 数学 論理的な考え方に必要
     国語 意見の伝達に必要
応用教科 英語 グローバル展開や論文に必要
⑶学際系
それぞれの専門に応じて異なる。

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