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数学の学び方

数学の学び方《1》

計算問題は数多く、文章題は1問を繰り返してやる

数学・理科の理系教科は、繰り返し学習が基本


 数学に限らず、理科などの理系教科は、1冊の問題集を繰り返しやることが必要です。また、問題集の中の問題、特に解けなかった問題を繰り返しやることが重要です。繰り返しやっていく中で、その問題の意図、考え方や解法が身についてくるからです。


 数学・理科の計算練習については、数多くの問題を繰り返しこなすことで、計算のルールや法則をつかむことができます。「見てわかった」とか「聞いてわかった」とか「1回やったら終わり」とか「答が合ったから終わり」とかは、典型的な自己満足の勉強方法です。やったつもりになっているだけで、その奥にある学ばなければならないものを見ていないからです。国語で言えば、文の字面だけを眺めて「読んだ」気になっているだけで、読解してないのと同じです。


 教科書の各単元の最初の4,5ページを繰り返し熟読したら、すぐに問題を解くことにかかりましょう。といっても問題集をやるのではなく、まず例題からです。

  • ①各単元の最初の定義・法則・定理のページを熟読して理解する
  • ②例題を(解答を見ずに)解いてみる
  • ③例題の解答とつきあわせて、解答の書き方や考え方を理解する
  • ④再度、例題を解いてみる(このときに解答の書き方が教科書と同じになるように注意する)
  • ⑤例題の下の練習問題を解いてみる
  • ⑥練習問題が解けなければ、再度例題に戻る
  • ⑦これを繰り返す
  • ⑧問題集で似た問題を探して同じようにやってみる
  • ⑨これを繰り返す
  • ※単元の終わりに近づいたら、演習問題や章末問題を同じようにやってみる

 この繰り返しです。


 数学は、問題を解くことで本当の理解が生まれてくるし、公式や定理などがどのように活用されるかがわかってきます。たから、「定義の暗記・理解→問題を解く→本当の理解」の順番でやっていきましょう。
また、数多く問題を解くことでデータが集まり、どんな問題が出やすいか、またどう対処すれはよいかもわかってきます。因数分解などでは、どんなに成績下位の生徒でも1000問やれば、見た瞬間できるようになります。


 最も役に立たない勉強方法は、試験前に試験の範囲だけを勉強するやり方です。そういう人は、なぜ学ぶかを理解せずにその場しのぎのやり方をしているに過ぎません。自分の将来を作っていくための学習方法を採るようにしましょう。

数学の学び方《2》

数字での計算ができたら、文字に置き換えてもう一度やってみる

文字式によって一般化(抽象化)することで、数学的考え方を身に付ける


 中1の1学期に、文字式を学習しました。なぜでしょうか。算数から数学という名前に変わって文字式を学ぶのは何か意味があるのでしょうか。実は、密接な関係があります。
 数学的考え方の一つに「一般化」という概念があります。例えば、数字の5は3と同じではありません。でも、アルファベットのaに置き換えると、3でも5でも7でも代入できます。つまり、数字の計算というものは、その数字の時しか成り立たない特殊な状況なのです。それをどんなときでも計算できるようにしようというものが文字式なんですね。言葉を換えれば、文字式によって「一般化」することでどんな数字を代入してもできるようにしよう、という概念です。それを式で行ったものが公式ですね。どちらかと言えば、高校で学ぶ数学の本質に近い部分です。
 だから、大学入試やセンター試験では、その数学的考え方を見るために、文字式を多用した問題が多いわけです。


 上述したように、公式や法則・定理が文字式で表されているということは、一般化されていることに他なりません。一般化することで、どんな数値を代入しても成り立つわけです。自分だけの公式を作るようなものです。
 一度自分の解けた問題で、問題の数値を文字に置き換えてやってみてください。出てきた答えは、あなた自身しか知らない公式ですよ。そういうことを繰り返して、数学を学ぶ意義が生まれます。


 例えば、他人の自動車事故のニュースを聞いても自分には関係ないと思ってスピードを出したりしている人は、この一般化の考えがない人です。他人に起こりうることは、自分にも起こりうるのです。「他山の石」という戒めはそのためにあるのですね。現実に起こっていることは、特殊なことではありません。いつ自分に降りかかってくるかも知れない、と考えるのが一般化ですね。
 あるいは、自分に何か不幸なことや嫌なことがあったと仮定しましょう。一般化してみると、楽しそうにしている友人や見知らぬ人にも、同じような不幸なことや嫌なことが起こっている可能性があります。だから、自分だけが不幸だとか、自分だけ嫌なことが起こっているとか考えることは、いかに狭い世界で生きているかわかるでしょう。苦しいのは自分だけではありません。
 これからもわかるように、数学をきちんと学び、数学の本質が理解できるようになると、思いやりや他人の立場に立つことができるようになります。数学嫌いの増えてきた1980年代以降、少年だけに限らず理由のない犯罪や重大犯が増えてきているのは、関係があると思います。そもそも、理科で養われるべき観察力や数学での本質を見抜く力などがきちんと教育されていれば、ギズギスした世の中にならないはずです。ちょっと脱線してしまいましたね。


 いずれにしても、文字式に置き換えて自分で練習することが、数学の実力を付け、自己中心的な人間にならないことに結びつきます。

数学の学び方《3》

公式の証明は、自分で何度も書いてみる

公式の9割は自分で証明できるようにする


 数学の学び方《2》とも関連しますが、公式を自分で証明する利点は、数多くあります。

  • その公式の意味・本質を理解できる
  • 考え方を理解できる
  • その公式の活用方法がわかる
  • 文字式の練習

など、いろいろあります。
 短所は、なかなか思いつかない、というより、ありませんね。いろいろな公式の証明を繰り返しているうちに、その意味するところがわかってくるし、応用の仕方も次第にわかってきます。「次第に」ということは、一夜漬けでは理解ができないということですよ。
 数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞(ノーベル賞には数学部門がない)を受賞された小平先生が、高校の時に大学の教科書にある証明を訳もわからず20回書いたらその証明が理解できた、というような話をされていましたが、まさにその通りです。


 定理などでも同様です。例えば、「パップスの定理(中線定理)」は、中3の三平方の定理(ピタゴラスの定理)での証明、高1の座標での証明、高2のベクトルでの証明など、(現行カリキュラムでは)3通り以上の証明方法があります。それぞれの方法で証明することにより、各単元の本質的意味や、どんなときにどの証明方法を使えばよいかが理解できるようになります。


 公式を使う計算練習をしたら、再度その公式の証明をやってみましょう。

数学の学び方《4》

「科学する」心を持つ

「科学する」手順で応用力が生まれる


 一時は、この「科学する心」というものに対してずいぶん批判があったようですが、最近はまた復活しているようですね。しかし、ここで言う「科学する」というのは、学問に限らず、仕事をする面でも必要な内容だと思ってください。基本は次の通りです。

  • ①データを集める(収集)
  • ②①のデータを認識する(認識)
  • ③①のデータを比較対照する(比較対照)
  • ④①のデータから共通点・相違点をそれぞれ見いだす(分析)
  • ⑤②〜④で、データの法則性を見つける(抽象化)
  • ⑥⑤の法則性を証明する(実証・確認)
  • ⑦⑥を利用して予想する(予想)

 この手順のことも数学的考え方と言い、小学校の理科・算数で身につけるべきものとされています。数量の大小関係を身につけることを小学校の算数の目的としていますが、これは②の認識ですね。中2で学ぶ三角形の合同の証明などは、⑥に当たります。中学理科で学ぶべき事柄の一つに、グラフ・表の読み取りがありますが、これは⑤です。
 小学校では①〜④、中学校では①〜⑥、高校では⑤〜⑦を中心として学んでいきます。だから、高校ではデータを集めるという①、認識して比較・分析を行う②〜④はできて当然のこととなり、⑤〜⑦の論理面が強調されます。ところが、ゆとり教育で①のデータを集めることが許されず、②〜④のできない生徒が大半になってしまっています。これは、ひとえにデータを集めるというドリル演習の不足にほかなりません。②〜④は知能検査などでわかることですが、最近はあまり知能検査をやっていないようです。
 そこで、ある大学で使用している知能検査の問題を利用して、ゆとり教育の2年目から川北ゼミナールでデータを集めたことがあります。結果は驚くべきものでした。ほとんどの生徒が②と③「比較対照して、分析する」ことができない有様でした。左の絵と同じ絵を選べ、という問題です。つまり、観察力がなくなっているのです。それも、1カ所だけ、あるいは2カ所観察して違いを見つけたら終わり、になっていました。3カ所、4カ所あるいはそれ以上の箇所を観察して比較する、ということがなくなっているのです。それで、「全ての部分について比較対照し、細かく分析していく」ことが教えなければならない(欠けている)事柄だとわかりました。ゆとり教育で身につけたものは「見てわかる」、「聞いてわかる」、ただそれだけだということです。話を聞いてみると、新たな問題点もわかりました。「考えた=物事の表面をなぞった」であり、「物事の奥に隠された本質を見て深く考える」という行動に結びついていないのです。つまり、「考える」という言葉の定義が我々と異なっているのです。これでは、国語の読解力も、理科の観察力も身につかないはずだと思いました。そもそも②〜④の内容は、理科で植物なり、動物なり、あるいは実験で培われるはずの観察力が元になっているからです。小学校の低学年で理科の科目がなくなったり、あっても机の上だけの学習になったりした結果ではないでしょうか。理科の基本は、フィールドワークや実験で物事の観察をすることのはずです。時間の経過による変化、同種の物どうしの比較など中学・高校・大学・社会とつながっていくための必要な学びの要素が小学校低学年での学習に根本的に欠けているように思います。理科の観察力は、学びの上で最も重要なものです。それを疎かにして、何をどうしたらよいと言っても始まりません。上記の①〜⑦を見て、理科の実験の手順と同じだとわかりましたか。「実験でデータを集める→グラフに書いてみる→グラフの式を求める→相関関係をつかむ→確認する→予測する」という実験の手順は、そっくりそのまま「科学する」の手順なのです。なのに、理科の時間数を減らし(我々の時代の半分)、実験が怖いという先生に教えられて、誰が観察力や「科学する」という考え方を身につけられるでしょうか。


 それでは、本人の気付かぬうちに「科学する」という考え方がどのように使われているか考えていきましょう。
 算数における掛け算の筆算をどのようにして覚えましたか。

  • ①データの収集→何問も解いてみる
  • ②データの認識→正答と誤答を区別する
  • ③比較対照する→誤答の場合、どの部分が正解と一致しているか、どこが一致していないかを比較する
  • ④データの分析→誤っている部分がどうやって間違ったのか分析する
  • ⑤データを法則化→常に正解にするためにはどのようにするか
  • ⑥法則の実証・確認→実際にその通りやってみると、予測通りになる
  • ⑦予測する→次はこういう風にすれば必ず正解になる

この①の問題量が「ゆとり教育」では少なすぎるのでデータ量が少ないので、②〜④で組閣・対照・分析しようがない、というところでしょうか。また、数多くの問題をやらせないので、この「科学する」という手順が飲み込めていないようですね。


 長くなりますので、後は簡単に例を挙げておきます。自転車の乗り方を覚えた方法などまさにこの手順の通りです。教室の忘れ物のノートを誰のものか推測するときなどは、筆跡のデータを比較対照して判断するはずです。あるいは、忘れ物をよくする人が忘れ物をしないようにする場合とか、いろいろあります。この最後の例のように、悪い部分や欠点を直すのにもこの「科学する」の手順は必要なことです。最近では医者が診断を下すときに写真や文献・書籍などで説明することが多いようですが、これもその写真と自分の症状とを比較対照して患者側が病気を理解できるようにしている例ですね。この場合、医者の側は①〜⑦がちゃんとできていることが条件だし、患者側も②〜④ができなければ、自分の病気を理解することはできません。このことからもわかるように、社会で生活し、人間関係を円滑にする(相手の話を理解する)ためにも最低限身につけておかなければならないものなのです。これらが欠けると、俗に言う似而非科学(エセ科学)にだまされたり、訪問販売員に騙されて高価な物を買わされたりすることになります。


 実は、この「科学する」という考え方の手順は、「研究」の手順でもあります。何も理系に限っているわけではありません。文系でも必要な事柄ですね。データがないことには、経済学も文学もただの机上の空論で終わってしまいます。
 だからこそ、①のデータの収集という「量」はとても必要なことなのです。理解(質)が先にあるのではなく、実践(量)が先にあるのです。英語や日本語がそうではありませんか。言語は、会話という実践があるからこそ、文法・語法という理論が後から生まれてくるのです。言ってみれば、後付けの理論が文法なのです。だから、時代とともに言語は進化していきます。


 戻ります。「科学する」という手順は、今まで無意識にやっていることが多いのです。会社に入って仕事を覚える、警察が事件を捜査して犯人を捕まえる、医者が診断を下すなどもすべて「科学する」の手順です。社会に出てから仕事を覚えるのもこの「科学する」という手順で覚えていきます。だからこそ、学生の間に「科学する」という手順を身につけてほしいと思っています。つまり、「学び方=科学する手順」ということです。
 これからも意識して、「科学する」の手順で学んでいってください。

数学の問題の解き方

数学の問題の考え方

アメリカの小学校の教科書では…


 アメリカの小学校2,3年生用の教科書に書かれている内容を述べます。

  • ①Read the problem (問題を読む)
  • ②What is the information? (条件は何か)
  • ③What is the question? (求めるものは何なのか)
  • ④※
  • ⑤Choose the operations (解き方を選ぶ)
  • ⑥Do the operations and answer the question (解き方通りに計算し、答えを求める)

の順で解いていく、と書かれています。※のところが6通りあり、例題6問をそれぞれに当てはめています。次の6つの文がそれぞれの※に入っています。

  • Use the objects (物を使ってみる)
  • Guess and check (予測して確認する)
  • Draw a picture (図を描いてみる)
  • Choose the information you need (必要な条件を選ぶ)
  • Make a list (表を書いてみる)
  • Look for a pattern (パターンを見つける)

 これが小学校2〜3年生用の教科書の巻末に例題として載っています。これらはもろに「科学する」と同義ですね。特にGuess and checkは数学的考え方の一つだし、⑤のChoose the operationsは複数形のoperationsとなっていることからもわかるように解き方は何通りもあると言っているのと同じですね。アメリカでは小学校低学年から中学年にかけて問題を解くことで数学的考え方を学んでいるのです。ちなみに小学校2年の最初に足し算、引き算が出ていますが、その概念の説明にnumber line (数直線)を使っています。日本では中1で初めて数直線が出てくるのですが…。


 小学校だと馬鹿にしないでください。現在の日本の高校生で、これだけの解法を身につけている人は一体どれだけの割合でいるでしょうか。

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